鎌倉の異界探訪 壱・・・永福寺
「鎌倉地図草紙」異界を歩く – P16
鎌倉の異界探訪 壱 鎌倉の都市計画・・・永福寺
≪永福寺(ようふくじ)跡≫ JR鎌倉駅より徒歩30分
永福寺は頼朝の壮大な夢であった。それは「武士の都」鎌倉の誕生とともに生まれ、鎌倉が都市としての勢いを失うのと軌を一にして滅んだ。
「永福寺跡に行ってみよう。行くなら春の彼岸の午後4時ごろがいい。八百年前頼朝がみたのと同じ夕日を同じ場所で見ることができるだろう。」永福寺本堂は春秋の彼岸の夕日が真上に落ちるように設計されていた。
【鎌倉時代春分の日の永福寺】
【2003年春分の日の永福寺跡】
永福寺は、建久3年(1192年)奥州合戦で亡くなった弟の義経や藤原泰衡らの霊を供養するために源頼朝によって建てられた大寺院。鶴岡八幡宮、勝長寿院と並んで鎌倉の三大寺社といわれている。現在残っているのは鶴岡八幡宮だけで、あとの2つの寺院は火事で焼失してしまった。
現在の永福寺跡は一面すすき野原だが、双子山だけは今も変わらぬ姿を残している。近年30年に亘って発掘調査が行われ2017年7月に国の史跡公園としてオープンした。