鎌倉の異界探訪 参・・・長谷寺・大仏

「鎌倉地図草紙」異界を歩く – P50-53

鎌倉の異界探訪 参・・・長谷寺・大仏

長谷寺

江ノ島電鉄長谷駅から徒歩5分アジサイや紅葉の時期には訪れる人が後を絶たないという有名なお寺。見晴らし台からは相模湾が一望できる。本尊の十一面観音菩薩像が有名である。

本尊十一面の観音像は高さ9.18m木造仏としては日本で最大といわれる。しかし、誰がつくったかはわかっていない。一説には、大和長谷から洪水で相模の馬入川に流れて来て、さらに飯山へ上っていったのを初期の幕府官僚大江広元と極楽寺の忍性とがこの地に移したという。忍性は鎌倉時代後期、当時最大の寺極楽寺の住職として日本経済を動かした人物である。

 

鎌倉大仏

江ノ島電鉄長谷駅から徒歩7分。鎌倉観光のシンボルである1252年に造営が始まったとされる浄土宗「高徳院」の大仏。正式名称は銅造阿弥陀如来坐像である。高さ12.38m総重量121トンの大仏は、鎌倉の仏像の中で唯一の国宝である。元々は大仏殿に安置されていたが、15世紀の大津波で建物が崩壊し今のような露座になった。

鎌倉といえば大仏である。どこか開放的な印象がある大仏だが、それは露座のせいだけでなく「美男におわす」(与謝野晶子)とうたわれた柔らかい表情やうなだれたようにも見える前鏡の姿に親しみを感じるからかもしれない。

死者をおそらく在郷で本葬納骨したあと、観世音菩薩の補陀落浄土に往生することを願って焼骨の一部を観音の霊場に納めたのだろう。以来、今日まで長谷寺は庶民の信仰の場として人気を集めてきた。

鎌倉幕府がそれまで王朝国家のもとに組織されていた商人や職人たちを振興宗教勢力(西大寺流律宗)と一体になって自らの傘下に引き寄せ、再組織化をはかった。それは東国武士による新たな鎮護国家の試みであり、その象徴が大仏だった。このころ鎌倉は確かに日本史の主舞台だったのである。

【大仏切通】