鎌倉の異界探訪 参・・・前浜

「鎌倉地図草紙」異界を歩く – P58-61

鎌倉の異界探訪 参・・・前浜

≪前浜≫由比が浜は鎌倉の町の前面に広がる浜で,鎌倉時代には「前浜」と呼ばれていた。鎌倉の商業の拠点となった場所である。

若宮大路下馬四ツ角交差点から100mほど海岸寄りの交差点を東に進むと滑川にかかる閻魔堂橋に出る。この橋から海側には、かつて「前浜」と呼ばれていた海岸砂丘地帯が広がっていた。そこは、死と生とが渾然一体となった空間「異界」であった。

 

浜にはいたるところにおびただしい数の人骨が埋まっているのである。何百人もの骨がいっぺんに埋められた大きな穴が見つかることも珍しくない。浜は町なかで発生した死のけがれを追いやる先であった。浜は地獄だったのだ。

浜こそ生の活力に溢れた空間だった。鋳物師がいて鍋や貨幣をつくっていた。骨や角を細工する職人がいた。石工がいた。もちろん漁師もいた。はまは年に不可欠のさまざまな人びとが活動する場所だった。嘉禄元年(1225)北条泰時は鶴岡八幡宮前の区画を政治的な中心とし、海岸部を中心とした周縁部を職能民たちの活動する自由空間とした。この時以来、浜は鎌倉のなかにあってまったく異なる空間原理の働く、都市の異界となった。

-そこは鎌倉の中のもう一つの街であった。