鎌倉の異界探訪 参・・・街中の異界

「鎌倉地図草紙」異界を歩く – P46-47

鎌倉の異界探訪 参・・・街中の異界

御家人間の抗争を制し幕府の中枢に座った北条氏は、一族の頂点に得宗が君臨する体制を築く。得宗は執権職の有無にかかわらず、幕府が滅亡を迎える高時の時代迄、日本の政治・経済の実権を握っていた。得宗支配の一翼として街中を管轄する大きな勢力が律宗寺院、極楽寺であった。

北条時頼の招きにより、奈良西大寺より訪れた叡尊は、禅宗や浄土宗などを一まとめにして極楽寺を設立し、北条氏の宗教政策の推進力となっていく。極楽寺は鎌倉時代後期に栄華を極め、日本全国の職能民を支配する元締めのような存在であったといわれる。鎌倉の中では和賀江島や前浜、大仏坂周辺などが経済活動の中心地であった。

そこで宗教的・経済的に実権を奮ったのが叡尊の後を継いだ忍性である。彼は異界での経済活動を活性化させ現代につながる社会の枠組みをつくり上げた。見たくないものは見なくてすむ、したくないことには手を染めなくてもやっていける社会、つまり「見えない社会」が誕生したのである。

中世都市鎌倉は前浜を中心とした街中の異界という経済の場を育てた。日本社会はこの後、自給自足経済から貨幣経済へと急速に移行していくことになる。