鎌倉の異界探訪・・・弐 東西の道

「鎌倉地図草紙」異界を歩く – P28-29

鎌倉の異界探訪・・・弐 東西の道

「山際東西道」は、東京湾側の六浦から朝比奈峠を越えて鎌倉に入り、大倉から後世の鶴岡八幡宮あたりを真っ直ぐに通過して義朝邸(現在の寿福寺)にいたり、山をのぼり化粧坂から北鎌倉、そして東海道へと接続する道であった。

現在の寿福寺の場所に居を構えた源義朝は,十二世紀中頃に覇権を唱え、上総にまで支配を及ぼそうとした。鎌倉の東西に堂々たる防壁遺構を築いたのは、義朝だったのではなかろうか。

東の朝比奈、西の北鎌倉の防塁は義朝邸を要とした「山際東西道」の両端に重要拠点であり、異界への窓口であった。