鎌倉千年の歩み~段葛からのオマージュ「若宮大路の設計」

鎌倉千年の歩み 段葛からのオマージュ

若宮大路の設計

源頼朝には、鎌倉を平安京と同じように都市設計する意図があった。京の都の中心は大内裏であり、鎌倉の中心は幕府をつかさどる源氏の氏神、鶴岡八幡宮である。そして、大内裏に直結する朱雀大路は、鎌倉最長にして最大の直線通路・若宮大路(段葛)に他ならない。
(犬懸坂祇園)

治承4年(1180年)10月、源頼朝は鎌倉に入り、鶴岡八幡宮を由比浦から現在の場所に移した。

二か月後、大蔵に「新亭」(のちの「大倉幕府」)が完成、同時に鎌倉の中の道路を直線にし、地区に名前を付けた。

それは頼朝なりの建都の宣言だったのかもしれない。

翌、養和元年(1181年)7月、現在の鶴岡八幡宮本宮の場所に社殿の造営が始まり、8月には遷宮の儀式がおこなわれた。

養和二年(1182年)、八幡宮社頭から由比ヶ浜まで若宮大路がまっすぐ通じた。それによって鎌倉は、奈良時代以来の集落構造を脱し、中世都市としての新たな枠組みに移行したのである。