鎌倉の異界探訪 壱・・・導入
「鎌倉地図草紙」異界を歩く – P10-11
鎌倉の都市計画
頼朝が京に倣って豪華な都を作ろうと考えていたことはけっして奇異なことではないはずだ。当時の測量技術はきょうの都市設計でみられるように極めて正確であり、内裏など各所の位置関係も絶対のものがあった。
武士による京をまねての都の設営はすでに十年余り前に、平清盛が福原(現在の神戸市)において実施済みであり、その顛末を鑑みて頼朝は満を持して臨んだはずである。
「幕府が本格政権となるからには、その本拠地鎌倉は京を凌ぐものにしなければならない。」このような思いで頼朝は平安京のように道路を真っ直ぐにし、村里に号を付けた。
そして、平安京以来最も重要な左京に当たる所に大倉幕府を設けるなど正確な都市計画が当時第一級の技師たちにゆだねられて鎌倉の街づくりは行われた。